感情よりもロジックを優先するのを止めたーやりたいことをやるために、私が止めた5つのこと(4)

こんにちは!

ブログ「今、夢に生きる」を運営しています、ハギタカシ(@takashi_h7)です。

トモ流への寄稿をするようになってから、早一年が経ちました。

この一年で、ずいぶんと自分自身、考え方が変わったなぁと思います。

一番変わったのが、「以前よりもやりたいことができるようになった」ということ。

そこで、今は「やりたいことをやるために私が止めた5つのこと」というシリーズを書いています。

前回は、「人の許可を求めるのを止めた

今回は、こちら「感情よりもロジックを優先させるのを止めた」

ロジック優先の思考回路

この「ロジックを優先する」という思考回路は、前回も書いた「人の許可を求める」にも通じる思考です。

何かを「やってみたいなぁ」と思ったとしても、人の許可が必要だと思い込んでいた私。

人の許可を得るためには、その人を説得しなければいけません。

どうしてやりたいのか。

やることで、どんなメリットがあるのか。

デメリットはこういう点が考えられるけれど、それをどうカバーするのか。

人の許可が必要だと思っていた私にとっては、ロジックこそが欠くことのできない武器でした。

なんだか「監視している自分」(理性)と、「監視されている自分」(感情)がいて、やりたいことがあっても、イチイチ理性に「これ、他の人にやってみたいって言っても通るでしょうか」とお伺いを立てているような、そんな状態でした。

そんなふうに考えることに慣れてしまった私は、いつの間にかこう考えるようになりました。

「ロジックで説明できなければ、わざわざ自分の時間やお金を使うだけの価値がはない」と。

自分の感情を大切にする?

そんな状態だったので、「自分の直感を信じて判断をする」「やりたいかやりたくないかを重視する」という話は、私にとって、意味不明なものでした。

そんな判断の仕方は、ワガママだし、公私混同だと思っていたんです。

そんな私が変わっていくきっかけになったのは、前回書いた、「人の許可は要らない」を実践しはじめたときのこと。

人の許可をもらおうとしていたから、相手を説得するためにロジックが必要でした。

けれど、自分で許可を出していいのなら、誰かを説得する必要がない。

ロジックが不要になります。だって、そこには自分しかいない。

自分しかいないなら、自分がやりたいのか、やりたくないのか、それが全てであり、それしか判断の軸はなかったんです。

そこからは、自分がやりたくないと思ったことを、一つひとつ止めていきました。

最初は小さなことから。

そうしたら、気づいたんです。あぁ、初めから自由だったのかもしれない。

「自分が勝手に、ロジックという名前の”世間の常識”を気にして、自分をその枠にはめ込もうとしていたから、あんなに苦しかっただけなんだ」と。

 

やりたくないことを、小さなことから一つずつ手放してみる。やりたいことを一つずつやってみる。

自分の感じた素直な感情を、理屈よりも大事にする。たったそれだけで、窮屈な枠の中から、少しづつ出ることができるはずです。