こんにちは!
Designer’s Cafeを運営している、ハギ(@takashi_h7)です。
トモ流に定期的に寄稿をさせてもらっていますが、今のテーマは「やりたいことをやるために私が止めた5つのこと」。
やりたいことを我慢しがちだった自分が、何を止めることで変わっていくことができたのかをまとめています。
前回は、「損得を優先させるのを止めた」
今回は、こちらです。
「人の許可を求めるのを止めた」
ずっと「やってもいいよ」と言われたかった
「やってもいいと言われていないことは、やってはいけない」んだ。
いつからこんな風に考えるようになったのか思い出せないくらい、この考えは私の中に根付いていました。
だから、何かをしようとしたときには、説得しないといけない人の顔を思い描いては、やってみたいって言ったら何て言うだろう。
どうやったら「いいよ」って言ってもらえるだろうか、そんなことばかりを考えていました。
そう考えたら、当然の成り行きですが、「自分の好きなことを真剣に追及する」よりも、「まぁまぁ、OKがもらいやすい無難なこと」を優先するようになります。
誰にも反対されないからラクだし、衝突することもないし。
これでは、誰が人生の舵を握っているのか分かりません。
私は、自分の人生の舵を握っているはずなのに、いちいち「右に曲がってもいいですか?」「左に曲がっても文句言いませんか?」とお伺いを立てていたんです。
自分の人生なのにもかかわらず!
「人の許可」のアテにならなさ
そんな私が人から許可をもらうことを重要視しなくなった最初のきっかけは、No Second Lifeを運営するプロブロガーであり、作家の立花岳志(@ttachi)さんの著書『サラリーマンだけが知らない好きなことだけして食っていくための29の方法』を読んでいたときのことでした。
一部、引用してご紹介します
「僕自身、会社を退職することを決めたときには、実にたくさんの人からアドバイスをいただきました。そして、そのアドバイスは面白いほど2つに分かれていました。サラリーマンの友だちや上司には、「失敗する」「どうやって食べていくつもりだ」「もう会社員には戻れないんだぞ」という言葉を掛けられました。いっぽうで、すでに独立していたり会社を経営している友人たちは全員、僕の決断を応援し、「やりたいようにやりなさい」「絶対うまくいく」と祝福してくれたのです。(p40)」
これを読んでいて、こんな風に感じました。
人の許可というのは、なんてアテにならないものなんだろう。結局、その人が歩んできた人生を映しているだけなんじゃないか。そんなものに人生をゆだねるって実はすごくバカバカしいことなんじゃないか。
そうやって人の言う通りに「いい子」で生きていたとしても、結局、その人が自分の人生に責任を持ってくれるわけでもない。
それなら、人の許可を求める意味なんて、全然ないじゃないか、と。
そうして、私は少しずつ「自分がやりたいかどうか」で判断をするように変わっていきました。
人から理解されやすいかどうか、よりも、自分がやりたいことかどうか。
人にどう思われるか、よりも、自分がどう思うか。
たったそれだけのことが、最初はかなり勇気がいりました。「こんなことして、大丈夫なんだろうか」「何か言われないんだろうか」って。
けれど、実際にやってみると、何も問題ないんです。今のところ、「あの時、自分のやりたいことを我慢して、人の言う通りにしておけば良かった!」という事態は、一度も起きていません。
人の声より、自分の声。たったそれだけのことに気づくまでにずいぶんと時間がかかったものだなぁと感じています。
次回は、やりたいことをやるために私が止めた5つのこと、その3、「感情よりもロジックを優先させるのを止めた」をお送りします!