気持ちよさ、に従おう。
趣味も仕事も区別なし、好きなことを好きなだけやってるトモです。
これまでは自分は機能性や効率、利便性の追い求めてきました。
でも、ちょっと考え方変わってきてます。
効率悪くても、気持ちよさ、心地よさ、快適さを、って。
その時の気持ちよさ、勢い、流れに身をゆだる直感的選択、行動。
『僕が求めているのは、「早く書ける」ことではなく、「気持ちよく書ける」ことにあり〜ウィリアム・バロウズではありませんが、キーボードと一体になる感じ(マシンと溶け合う感じ)が、最高なんです。』
これは、高城剛さんのメルマガの一節。
ああ、そうか、そうか。
高城さんは、機能より使い心地の良さを選んだんですね。
(実はこれ、言わんとしてることはまた別のことなんですけど)
これにビビッときたんです。
そこで頭をめぐったものが、今回のタイトルになってる。
あ、そうそう。
機能性や効率、利便性はロジカル臭がして、気持ちよさ、心地よさ、快適さは感情的なイメージがしますね。より直感的な。
やっぱ、ココロ、感情を置いてっちゃダメだよね。
あと経験として…気持ちよさや勢い、その時の流れに身をゆだねてみた方が、時としてスムースに目的達成に向かうことがある。
逆に思考(言語化)がをその場に踏みとどまらせ、”流れ”を絶ってしまうことがある。
もちろん機能性や効率、利便性から生み出される快もあるんだけど。
要はバランスとその場の気持ちよさだ。
気持ちイイ、心地よさはひとそれぞれ。
ひとの価値観によって目的に達するまでの手段の選択は異なって当然。
十人十色。
例えこちらが非効率、不便と思っても、相手にとってはそれが最適な快であったりするワケで。
ついさっきまで、こっちからみて非効率、不便と感じるものについてはおせっかいを焼いたり、また残念に思ったりしてたんですよね。
便利を得るためのはじめの1歩、面倒を避けるひとに対して、疑問を抱いたりもした。
これ、一方的だなあ、って今は思います笑。
心地よいやり方、バランス感覚はひとそれぞれなんですよね。
非効率的でも気持ちよさ、心地よさに価値を置いて。
これからの世の中、テクノロジーの発達で黙ってても便利になる。
機能性、効率がそれほど高い価値ではなくなってくると思ってます。
だからこそひととして、効率悪かろうがもっと直感的な、なまなましい感情に従ってみる。
気持ちイイ、心地良さにもっと価値を置いてみる。
そのやり方じゃないと得られない心地よさがあるかもしれない。
やりかたはひとそれぞれで良い。それぞれの心地よさを求めて、ね。
好きなことって、好きなだけやってもイイんだぜ。
あなたも一緒に、どうスか!?